本論文では先住民アタの移動とアタ語の言語接触による変化について歴史的資料をもとに社会言語学の視点から考察し、言語データのみに依存した比較言語学的方法によりニューブリテンに分布するパプア語の系統関係を樹立する試みが困難であることを指摘している。アタ語は地理的にオーストロネシア語族の言語に周囲を囲まれた言語系統的に孤立した西オセアニアのニューブリテン島中部内陸部に分布するパプア語(=非オーストロネシア語)である。アタ語はパプア・ニューギニアのリンガ・フランカであるトク・ピジン語および英語の影響に加えて、オーストロネシア語族の言語との言語接触による語彙の借用および形態統語構造の変化などが著しく、西オセアニアに分布するオーストロネシア語族の言語に見られる文法的特徴とパプア・ニューギニアの先住民語の典型的な特徴を併せ持つ珍しいタイプのパプア語である。

このような言語の文法構造を記述するには言語がどのような社会的背景にありながら歴史的に変化してきたかを検証する必要があり、社会的歴史的な背景を知らなくては説得力のある分析をすることは非常に困難である。アタ語の話されるニューブリテン島にはすくなくとも35,000年前から先住民族が存在したと考えられている。同島は西オセアニア地域において極めて火山活動が活発であるために先住民族の移動が活発であったことが考古学的にも実証されている。また太平洋戦争時には旧日本軍がニューブリテン島東部のラバウルを拠点に同島を占領したことから、先住民族は東部からの圧力により西部へ移動する傾向が見られる。1960年代以降、アタ語の分布する西ニューブリテン州では国外資本による菜種油の精製と林業が主力産業となり、貨幣経済の影響は先住民の生活様式に大きな影響を与えた。先住民の自己の言語と文化に対する意識の希薄化は若年層のアタ語話者数の減少と同言語の形態統語構造の急激な簡素化を引き起こしている。

これらの先住民族の移動の歴史と言語変化はニューブリテンに現在残っている7 つのパプア語の系統関係を考えるうえで大きな障壁となり、言語データのみに基 づいた比較言語学的方法論による系統関係の樹立には言語データ以外の先住民族 の移動の足跡を歴史資料を基にたどることが重要であることを明らかにしている。